Niftyのパソコン通信サービスが終了

Niftyのパソコン通信サービスが終了するらしい。
ちょっと感慨深い。


NHKで昔やってたアメリカのドラマで、コンピュータでネットワークが使えるということは知っていた。今Googleで調べたら1984年に放送された「マイコン大作戦」というドラマだったようだ。原題は「Whiz Kids」。この当時僕は中学生。まだモジュラージャックというものが世の中に存在することすら知らなかったので、アメリカって各家庭にコンピュータ用の回線が引いてあるんだぁ。すげぇ。とか寝ぼけたことを思っていた。
僕が初めてパソコン通信という言葉を知ったのは、確か、工学社で始まった、テレスターの広告が月刊I/Oに掲載されたときだと思う。(Googleで調べると1985年3月にTeleStarの実験スタート、5月にアスキーネット。86年4月にPC-VAN。87年にNIFTY-Serveらしい。)当時回線速度は300bps。モデムなんて高価でカプラを使ってアクセスしなければならなかった。もちろん、ANKのみ。漢字が扱えるコンピュータの方が少数派。
中学生の僕は当然そんな高価な買い物なんてできないし、アクセスポイントも東京にしかなく、愛知県から東京のアクセスポイントに電話をかけたら、一ヶ月の小遣いが一瞬でふっとんでしまうようなことは到底できなかった。また、当時僕が持っていたPC-6601にはRS-232Cがオプションで販売されていたが、とても高価だった。
ちなみに、TeleStarは工学社、アスキーネットはASCII、PC-VANは日本電気、NIFTY-Serveは日商岩井と富士通。
その後、地方工業大学に入学。大学はすでにWIDE(JUNET)に参加していたため、インターネットが利用できた。まだ商用利用が認められてない時代だった。大学の授業で「FJの歩き方」について説明があり、UNIXのアカウントとパスワードについても、しつこく言われたことを覚えている。
当時は、まだWWWは広まってなく、メールとニュースが中心。たまにAnonymous FTPや、talkなど。メールのヘッダを見ると、途中にUUCPの経路が混ざったりしてバケツリレー式にメールが流れていくのが楽しかった。またFTPするときもArche(だったかな?アーキィって発音してたな。)で電気的距離の近いところを探してそこからFTPすることによって、ネットワークに負荷をかけないようにとか言われていた時代。すべてのパケットがどこから流れているのか記録が残るから、大学として恥ずかしいことをするんじゃない。みたいなことを言われていた気がする。
コンピュータで調べ物をするといえば、まずはニュースのログを検索。
ネットワーク的にはかなり恵まれた環境だったと思う。
大学4年に、PCを調達したことから、まず、アマチュア無線用のモデム(?)を購入。こいつを使ってアマチュア無線のコンピュータネットワークに参加。
ここでも、メールやニュース(というかBBS?)を利用するようになった。
ニュースではISHというエンコード形式でプログラムも流通しており、PC用のソフトウエアをダウンロードもできた。が、アマチュア無線という性格上、発信者が特定できないので、ウィルスが大量に発生といううわさを聞いて、ソフトのダウンロードをやめた。
このころ初めてLinuxに触る。Linuxでアマチュア無線用のTCP/IP(AX25)で遊んでた。
その後、電話用のモデムも購入。確か、サン電子の14,400bpsのモデムが激安で出た直後だったんじゃないかな。このモデムにNIFTYの入会用紙が入っていて、それを使ってNIFTYに入会。そうだ、卒業旅行でアメリカに行くからってクレジットカードを初めて作って、そいつで決済したんだ。
これで東京に就職して、その会社がインターネットにつながって無くても、メールが読めるって安心したんだ。
丁度そのころ、Niftyがインターネットに接続。telnetからNiftyに接続できたり、NiftyにFJのニュースが流れ込んだりし始めていた。
NiftyからFJにポストできるようになったことにより、fjの文化がだんだん、Niftyの文化に染まってくるようになった。fjにSPAMが流れ込むようになったのもこのころ。
そういえば、Mosaicが出てきたのもこのころじゃないかな。
Microsoftも、僕が使っていたビデオカードの#9もNifty内にサポートフォーラムを持っていて、そこから最新版のドライバとか情報とかがダウンロードできた。
東京の会社に就職するも、そこは、UUCP。メールとニュースは流れてくるけど、すんげぇ遅い。家の環境ではNifty経由でfjも読めるしTelnetもできる。会社の環境はなんて使えねぇだと文句を言っていた気がする。
Nifty大活躍の時期です。
Internetへのゲートウェイとして活用するだけでなく、MIDIデータのダウンロードにもはまりました。SoundBlasterでこんな音がでるんだと、感動してました。
その後、bekkoameやRIM-NETがサービスを開始。シェルが自由に使えるという話を聞いて、RIM-NETに入会。モデムも28,800bpsに変更。モデムとは言え、IP-Reachableとなる。早速自分のWebページを立ち上げる。Internetマガジンが創刊されWebがブームになり始める。Netscapeが登場。
働いていた会社が満を持して専用線接続に。でも64k。丁度同時期にISDNが安く登場して、すぐに飛びついたので、家でも同じ速度がでるように。
会社だと100人で64k。家なら一人で64k(2回線で128k)。やっぱり会社は使えねぇ。。。
だんだんこのころになると、Niftyから遠ざかります。やっぱりIPの方が便利だもんね。でもfjもだんだん荒れてきて遠ざかり、主流がWebになりました。
会社の寮に住んでいたので、寮内LANと言って、部屋の窓から10BaseTをいろいろな部屋に引きずり回したりして遊んでました。自分の部屋から友人の部屋のPCを経由して、友人のISDNからインターネットへなんてことも。。。
その後、アメリカに移民して、モデム生活に逆戻り。
とは言え、アメリカに来たばっかりのころは、会社にずーっといたので会社の回線を好きなようにつかってました。
現在はADSLです。
Webのようにグラフィックや音楽バリバリじゃなくて、パソコン通信の文字が主体のネットワークってのは、なんとなくコンピュータネットワークの原点みたいで好きだったんですけどね。
上位がどんなにマルチメディアになっても、やっぱり低レベルではテキストで情報が流れていたりするわけで。
Niftyのパソコン通信サービス終了から、なんとなく、大学時代を思い出してみました。

「Niftyのパソコン通信サービスが終了」への1件のフィードバック

  1. ニフのパソ通時代の流れの産物、フォーラムが、ここ数年雪崩のようにweb化しつつあり、残っている数少ないフォーラムも、昨年秋、離散(有志でweb化するようですが)の話を聞いて、ああ、パソ通の時代も終わりだと感慨にふけりつ拝読しました。私がnifに入ったのは、win95がでるよーと鳴り物入りで宣伝され始めて、DOSの3.1機の店頭宣伝機を在庫それだけ、って、書いた叩いて買って、おまけに9600bpsのモデムが付いてきたから、解約してなかったら、今頃入会10周年(もっとか?)のメイルが届いてたかも。
    その後、使用マシンはwin95,98、98SE、(ダンナME)、現在使用のXP。モデムでつないだのは98機が最後で(これも後付でLANカード煎れたけど)、その後ISDN、ADSLと回線も進化を遂げました。
    子供らが赤子の頃、ダンナはT芝さんへOムロンのモデムを売っていたのですが、その頃の速度は2400bpsだとかだもんなー。時代を感じますです。

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