プラネタリウム 解説員 山田卓氏

先日、家庭用星空投影機の話で、山田卓氏の名前を出したのだが、既に亡くなられていることがわかった。

訃報:JPS設立の功労者、山田卓氏(元名古屋市科学館)が亡くなられていた

星ナビ 編集後記 2004年6月

僕が始めて名古屋市科学館のプラネタリウムに行ったのは、幼稚園の年長組だから5歳のときである。幼稚園の遠足か何かで行ったんだと思う。内容は覚えていないが、プラネタリウム内の光景は今でもはっきりと思い出せる。実家に行けば、そのとき、科学館の前に展示してある蒸気機関車の前でとった集合写真が残っているはずだ。

その後も、何度か学校から遠足だか、社会見学だかで、プラネタリウムに行った。

1年間毎月通った時期もある。僕が小学校3年生から4年生にかけてのことだから、1980年ごろのことだと思う。小学校高学年になりかけて、電車に乗って遠出ができるようになったころだ。友達と遠出をしたい年頃。親も、市立科学館へ行ってプラネタリウムを見てくるということで、許してくれた。名古屋市科学館のプラネタリウムは毎月テーマが変わり、それにあわせてプラネタリウムの解説の内容も変わる。そこで、毎月どこかの日曜日には、地下鉄に乗って、名古屋市科学館に通った。毎月お弁当を持って科学館に行き、100円だか200円だかのプラネタリウム券を買って科学館へ入場する。

屋上の展望台に上ってお弁当を食べる。プラネタリウムの上映までは、科学館の展示物を地下1階から最上階までぐるっとまわる。いろんな展示物も最初のうちは意味もわからず、ボタンを連打してみたり、ハンドルをぐるぐる回すだけだったりしてたけど、だんだん、じっくりと解説を読むようになったり、じっくりとビデオを最初から最後まで見てみたり。

4階(だったと思う)では化学の展示物があって、そこでは時間によっては、サイエンスショーと題して、液体窒素で物を凍らせる実験があったり、なんか得体の知れない液体を混ぜて、発泡材を作ってみたり、ガラス管を熱してスポイトを作ってみたりする展示を見せてくれた。

プラネタリウムの開演の1時間前には2階の天文館へ行く。天体望遠鏡を見たり、重力放物線に従ってぐるぐる回る鉄球を眺めたりして、開演を待つ。30分前にはプラネタリウムの入場の列に並ぶ。座席は早いもの順なので、早く並んで目的の席に座る。最初のころは、闇雲に座っていたけれど、今回は前の方を挑戦しようとか、今回は壁際を座ってみようとか、今日は北側で北極星を間近で見るんだとか、次回は西側で夕日が沈むのを見るんだといいながら席に座る。前のほうだと全体が見渡せるけど、プラネタリウムの装置が邪魔で見づらいとか、壁際だと自分の近くの星がでっかく見えて面白いとかそんな感じ。

そして解説が始まる。名古屋市科学館は当時、完全生解説であった。すごく渋い落ち着いた男性の声で、解説が始まる。はじめは太陽が映っていて、赤い夕焼けの風景。まずは方位の説明があって、これが太陽。そして、だんだん太陽が沈んでいき、空が青くなり、そして暗くなる。その日の夜8時の星。赤道、黄道、子午線の話があって、次に星の解説。名古屋市科学館は名古屋市の市街地にあるため、実は星を見るには適さない。そんな星空を見せてくれて、次に、名古屋市郊外で見る星、そして、山奥でみる満天の星空。実は満天の星空だと、星がいっぱいありすぎて、星座を作るのが難しい。そこで、実際に夜空を見て、星座が作れるように、満天の星ではなくて、名古屋市郊外で見られる程度の星空にして、星座の解説をしてくれる。夏の大三角。冬の大三角。秋の平行四辺形、五角形、などなど、今でも覚えていることばかりだ。

後半はその月のテーマに沿っての解説。科学館が北京原人展をやっていれば、北京原人が見ていた時代の星空から地軸のコマ運動の話。その時期に良く見える星座の神話、メデューサの話だったり、アキレスの話だったり、ペガサスの話だったり。そして、惑星の話、彗星の話。

その月のテーマの話が一区切りつくと、そろそろ夜明けの星空。そして夜明け。

名古屋市科学館のプラネタリウム公演は1回50分だけど、生解説のいいところで、1時間を越えることもあった。名古屋市立の施設は当時4時にすべて閉館で、3時のプラネタリウム公演だと、3時50分に終わる。ごくまれに、3時の公演が長かったりして4時をすぎると、館内にはもう入れなくて直接外に出されてしまうこともあった。

ここまで書いてて思ったけど、すげぇ覚えてる。いやぁ、自分でもびっくり。

高校3年のときは文化祭でプラネタリウムをやった。僕は投影機の担当。へっぽこ高校生だったから、レンズ式なんてとんでもなく、ピンホール式。それでも千個以上の穴はあけたと思う。6等星まで、文化祭の時期に見られる星は全部あけたから。作る前に、名古屋市科学館へ話を聞きに行ったことを覚えている。ただでさえ、小学生のとき、プラネタリウムに1年通っていたのに、ピンホール式で手でちまちま穴をあける作業をやったおかげで、すっかり、夏から秋、そして冬の有名どころの星座は覚えてしまった。今はだいぶ忘れたが。。。

名古屋市科学館でのプラネタリウムは、すごかった。星座をあらわす絵、星を指し示すための緑の矢印、そして、あの解説の落ち着いた声。いまでもはっきりと覚えている。僕にとって、プラネタリウムは、見に行くものではない。聞きに行くものである。

名古屋市科学館のおかげで、プラネタリウムというのは生解説が当たり前だと思っていた。某プラネタリウムへ行って、全天ドームではなく、そのうえ録音解説だったときは、これほどまでに、違うものかとがっかりしたことも覚えている。

最後にあの声を聞いたのは多分、大学生のときだと思う。東京に就職してから、一度見に行ったときは確か女性の声だった。そのとき、やっぱりプラネタリウムはあの人の声じゃないとなぁって思ってた。

先日、家庭用星空投影機ホームスターの話を書いている際、名古屋市科学館プラネタリウムのことを思い出していた。ふと、あのときの声の人のことを思い出し、あの人ってなんて名前なんだろう。今考えても、すごい解説だから、有名な人に違いない。名前くらいはわからないだろうかと、googleで検索。名前がわからないので、プラネタリウム、名古屋市科学館、学芸員、名解説などなど、やったらめったらキーワードを打ち込み探すこと30分。
星ナビ 編集後記に出ている、
故・山田 卓先生
この山田卓氏の写真を見ても、プラネタリウムの解説のときは、名前を教えてくれるわけでも無いし、顔もよく見ていない。うーんこの人だったような気がするなぁ。声聞けば一発なんだけどなぁ。って感じ。実際、名古屋のプラネタリウムの声と言えば、あぁあの声ねって思い出す人はいっぱいいると思う。「白鳥座のデネブぅ」「さそり座の心臓、アンタレス」とか、「黄泉の国からおくさんを連れてくるときに、振り返っちゃいけない」とかね。

Googleで見つかったあちこちの文章の内容から、名解説員で名古屋市科学館プラネタリウムと言えば、山田卓氏しかいないと確信。かなり著名な方だったらしい。日本でプラネタリウムの解説者といえばこの人というくらい有名のようだ。記事を見ると、2004年3月7日に70歳の誕生日を目前にしてお亡くなりになられたようだ。もう、あの声が聞けない。非常に残念である。

山田卓氏の星空解説のCDって無いのかなぁ。録音とか残ってないのかなぁ。欲しいなぁ。でも考えてみれば子供のころに、いっぱい聞くことができた僕は幸せだったんだなぁ。僕にとってプラネタリウムの解説って言えばあの声なんだよなぁ。

ちなみに、Webを見ると、今でも名古屋市科学館プラネタリウムは専門の職員による生解説だそうだ。是非とも聞きに行ってください。

春の星座博物館―星座につよくなる本
春の星座博物館―星座につよくなる本 山田 卓 (著)

夏の星座博物館―星座につよくなる本
夏の星座博物館―星座につよくなる本 山田 卓 (著)

秋の星座博物館―星座につよくなる本
秋の星座博物館―星座につよくなる本 山田 卓 (著)

冬の星座博物館―星座につよくなる本
冬の星座博物館―星座につよくなる本 山田 卓 (著)

amazonで検索したらこんな本が出てきた。うわぁ、めっちゃ読みてぇ。早速カートへ。。。

「プラネタリウム 解説員 山田卓氏」への6件のフィードバック

  1. 私も山田さん大好きです。といっても実は書籍の中での山田さんしか知らなくて名古屋で解説をなさっていたなんて驚きです。
    名古屋市科学館のプラネタリウムの質の良さは全国的にも有名で現在は東京で暮らしていますが、私も実家が浜松ということもあり観にいったことがあります。山田さんが解説をしていたと知っていたら絶対聞きに行っていたのに!!
    四季の星座博物館は以前の装丁のモノを持っています。
    少し立ち読みして内容の面白さに全巻即買いしたのを覚えています。
    牛飼い座をアイスクリームとかネクタイなどといった、山田さんの独特な星座の解説が好きで今でも愛読してます。
    去年、亡くなられた事をこの記事で知り、とても残念です。
    ご冥福を心からお祈り申し上げます。

  2. diさん
    トラックバックいただきました。
    私は「山田さん」という名字と、声を鮮明に覚えていましたが、ここでもう一つ「デネブぅ」も思い出しました(笑)。私の記憶バージョンは「火星の敵、アンタレス」です。あの矢印をぐるぐるっと、さそり座の胸のところで回すんですよね。科学館の風景も、懐かしいです。
    私が現在32歳ですので、通っていたのは1982~85年ごろです。おそらく、同じドームの中にいた時間があったのかもしれません。
     私の記憶では中学になったころに、別の解説の人に替わっていたと思っていましたが、複数の方がいたのかもしれません。「プラネタリウムは聴くもの」まさに、私もそうでした。だから山田さんがいなくなったと思って、行かなくなりました。
     それにしても、本があるとは!
     貴重な情報をありがとうございましたm(__)m
     ……私もCD欲しいです(笑)。

  3. 来週月曜の『金冠日食』のことでちょっと調べものしてましたら
    急に名古屋市科学館の山田先生のことを思い出しこちらに辿り着きました。
    山田先生のあの『声』
    私も鮮明に覚えています。もう亡くなられて久しくなりますが私の中ではまだ山田先生のお声は生きてます。
    あらためて合掌です。

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