ゲームボーイのプログラムを書いていて、アタリショックとオープンソースについて考えた。
ゲームソフトの供給過剰や粗製濫造により、ユーザーがゲームに対する興味を急速に失い、市場需要および市場規模が急激に縮退する減少を指す。
とある。英語では、Video game crash of 1983と言うらしい。
この反省を踏まえて、NintendoやSonyは生産を一手に引き受ける代わりに、開発中のソフトのレビューを自社内で行い、企画段階から開発側へ強い発言権と影響力を行使する。
ぶっちゃけて言えば、NintendoやSonyの許可がなくてはソフトを出荷できない。NintendoやSonyが市場に出回るソフトの質と量(と価格?)をコントロールしているわけである。
一方で、パソコンの世界では、オープンソースやフリーソフトという考え方がある。ここで言うフリーソフトとは無料ソフトではなく、自由ソフトのこと。
フリーソフトは、それこそ自由なソフトのため、質も量も自由である。であるならば、フリーソフトが広まるとアタリショックと同じようなことが発生するのだろうか。
なんか、僕がイメージしているアタリショックがちょっと間違っている気がする。アタリショックの原因は、別に供給過剰や粗製濫造とはまったく関係ないところでおきていたのではなかろうかと思ってしまった。
フリーソフトはそれほど、供給過剰になってないし、粗製濫造されてないとは思えないからである。
やっぱり口コミ情報とかに代表される、情報の流通速度の差があるのかなぁ。