「論壇系ブログ」と新聞を含めた既存メディア

切込隊長BLOG(ブログ)で、すんごく楽しそうな議論をしてるので参加してみようと思った。
おめーの文章なんて何言ってんだかわけわかんねぇよば~か、とか言われそうだが気にせずTB。
最近すんげぇ気になっているのは、情報の1次ソースって何だよって話。


メディアとネットに「格差」があるという議論はおかしい
新聞業界がこの先生きのこるには
「論壇系ブログ」と新聞を含めた既存メディアに関することあれこれ
これらの話は、古い記事だけど「ニュース」とか、最近だと「自衛隊のイラク派遣と誘拐事件」でも書いたんだけど、事実を淡々と知りたいときに、どうしてこうもいらん情報がいっぱい混ざりこんでくるのかしらねぇという話。
日本のテレビでニュースを見ていると、CNNではこう伝えてましたとか、NYの主要新聞ではこう伝えてますとか言ってたり、新聞社のニュースのサイトも事実を抜粋して概略を説明し、その事実やニュースに対して記者なのか新聞社なのかが思ったことや考えていることが一緒に伝えられていたりする。
テレビ局がどう思ったのか、新聞社がどう解説してくれるのかというのが重要な場合もあるわけだけど、あんまりその主張が強すぎると、「んで、あんたは、どんなソースを見てそうゆうことを言い出したわけ?」ってなことを聞きたくなる。
インタビュー記事でも、オリジナルのインタビューを僕らは知らないで、記者がまとめた記事しか見てないわけで、記者が興味のあることと、読者とでずれている場合にはどうにもピンボケの記事が出来上がる。すると「んじゃ元のインタビューを見せてよ」てな感じになる。
そんなときに、Blogだと元ネタに対するリンクがついていて、じゅんぐりじゅんぐりたどっていける。同じソースに対して違う人の違う主張も書いてあったりする。へぇ同じソースでもそうゆう見方があるのねぇって思えたりするし、自分の考えの浅さを反省したりもする。

まったく無関係の記事から勝手に読み解くべき議論を敷衍して好き放題に考察すると、新聞というものは通信社から記事を持ってきて、自前の記者が取ってきたネタとあわせて紙面を作る、そのうえで手前のとこの論評を加えて印刷して売る、売るに当たって何々新聞という看板がついているので看板の偉そう度に比例して広告がつく、その広告は記事の内容如何に関わらず特に疑われることなくその伝統と実績らしきものを割り増しされた値段で広告効果を期待して企業は出稿し続ける。

僕にとって、新聞やテレビの厄介なところは、視聴者がそのソースにたどり着く方法が無いということである。新聞社のWebページだと共同通信とか書いてあったりして、それでも新聞よりはちょっとだけたどりやすかったりとか、Googleを横に並べて検索しながら読み解いたりすることができる。
どっかのプレスリリースについての記事であってもオリジナルのプレスリリースを読む方法が離れちゃってるのがどうにもつらい。
Blogの記事の場合、ソースってのが結構明確になっていて、僕はこの記事を読んでこんなことを思ったんですよという論調になっている。まぁそのソースが既にN次ソースでありフィルターがかかっていたりするというややこしい状況は起きているわけだが。
新聞やテレビは事実を圧縮してまとめて伝えてくれるけど、ついでに自分の主張も混ぜ込んでるから、実は事実自身としての情報量がちょっと足らないんじゃないの?って感じている。
んで、僕がBlogに期待しているのはその1次情報の量が(質はともかくとして)圧倒的に増える可能性があるということである。
その場にいる人の多くがBlogを書き込んでくれればその情報に僕はアクセスすることができるようになる。いや俺の知りたいことはそうゆうことじゃなくて、そうそうあんたが見ている好みのところが俺の好みに近いのだよという選択肢が広がることである。この事実に対してこの人がどう感じているのか興味があったり、この人だったらどんな意見や判断を下すのだろうか聞いてみたかったり。
それなりのものを10個持ってきてもらうよりも、ごみを1万個集めてきたほうが、そのごみの山の中から1個の自分の好みを見つけることが、実は僕にとって便利なのかもしれないと思っている今日この頃だったりする。量が質を凌駕するってやつね。底辺が広くないと天辺も高くないのよ。もちろんそのごみ1万個から自分の好みを見つけるために、Googleであったり、もっと知的な道具が今後開発されるかもしれないという甘い期待も同時に抱いているわけだが。
でも切込隊長が考えているように、その1個の情報が重要な情報である場合、それは価値を持つわけでその価値というのは金銭と等価だったりするわけなのだが、実は現在新聞やテレビで放映されている情報というのは案外金銭に交換できることが少ない情報であって、できたとしても広告程度の金銭なわけで。。。
だからと言って自分のBlogがそれほど社会に貢献しているとは思えないが底辺の一番はじっこの部分にでも加えてもらえればちょっとだけうれしい。
そんな話はさておき、Blogってのは日記ツールという側面もあるけど、議論ツールという側面もある。
あんまり議論してるBlogって見かけて無かっただけに、こうゆうふうに活発に議論を吹っかけてる切込隊長はやっぱりおもしろいなぁ。
ある意味Blogって自分のBlogを背負って議論をするわけで、それが2chのように匿名なんだけど、完全な匿名じゃなくて、自分が背負った背景みたいなもんがあると、やっぱり匿名じゃなくてネット上の人格みたいなのができちゃって、なんとなく、おかしなことを言っちゃうといじめられるような気がして気後れしちゃって当たり障りの無い日記を書いちゃうんだろうな。
いかんせん、議論に混ぜてもらいたくても、議論するテクニックというか、自分の意見を的確な言葉で伝える能力というか、他人を議論に巻き込む能力というか、他人を考えさせたり他人から意見を引っ張り出してくる能力というか、人を説得する力というか経験というか技と言うかが、圧倒的に足らない自分を恥じたりしないけど、切込隊長のようにいかないわけで、彼の文章を一生懸命読み下しながら、修行の毎日だなぁ。とりあえず、多少いじめられてもいいから、練習してみるかと思う今日この頃。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください