ナゴヤフォークタウンとは、1976年から20年の間、東海ラジオで放送されていた番組の名前である。
僕が中学生のころ、丁度夜更かしを始めた時期にはまっていたラジオ番組である。
僕が中学生のころなので、1985年ごろのことである。
深夜番組に懲りだしたのは、中学1年の夏休みの終わりごろ。夏休みの宿題が溜まりにたまって、終わらなくて夜遅くまで起きていたころからである。
まず始めはオールナイトニッポン。鶴光のオールナイトニッポンは土曜日の深夜25時(日曜日の午前1時)から日曜日の朝5時まで。
中島みゆきのオールナイトニッポンは月曜日の深夜25時から27時。そのほか、鴻上尚史とかとんねるずとかも聞いていた。
当時、名古屋在住でオールナイトニッポンはCBCで聞いていたので、平日深夜の2部は放送されてなかった。
その後、ゲーム好きから繋がって、ナムコ提供の番組、大橋照子のラジオはアメリカンを聞くために、日曜日の深夜に頑張って起きているようになった。
12時半からオールザットムービー。1時からナゴヤフォークタウン。2時から宗教の時間(世の光)。んで、2時15分から2時45分までラジオはアメリカンである。
ラジオはアメリカンでは、ゼビウスなどのナムコのCMが聞きたくて起きていたようなものである。
当時、タイマー録音できるラジオを持っているには持っていたのだが、これがなぜかAMラジオを録音すると、「ぴ~」というノイズがのってしまって聞くに堪えなかった。ぴ~というノイズが載った場合は、消すためにスイッチを切り替え無ければならない。何故か丁度2時半ごろにスイッチを切り替えないと聞けないという困ったラジオであったため、結局、起きている羽目になってしまった。
ちなみに、ラジオはアメリカンの終了後は、東海ラジオの放送が朝5時まで停波される。日本国内最終番組であった。ラジオが終了すると、また明日から学校かぁと鬱になったものである。
高校になって、オールナイトニッポンよりも、小堀勝啓のわWIDE! とにかく今夜がパラダイスを聞くようになった。これは平日の21時から22:50分。わWIDEを聞いてしばらく休憩するとオールナイトニッポン。んで、オールナイトニッポンを布団の中で聞いていると、気がついたら寝ているという生活が続いた。
浪人時代、大学時代になると、あんまり深夜放送を聴かなくなっていった。特に大学生活では、普段の生活が忙しすぎて深夜放送どころではなくなっていた。また車で移動することが多くなり、AM放送ではなく、カセットテープやFMラジオを聴くようになった。当時丁度中部地方で、ZipFMが開局した時期である。
それでも日曜の深夜は結構余裕があって、何故か、ナゴヤフォークタウンだけは、結構聞いていた。
ナゴヤフォークタウンは、「 あびせ倒しの街頭アナウンサー天野良春と小股すくいの兵藤ゆき」という自己紹介で始まるいわゆる深夜放送である。
フォークタウンという名前は番組開始当時、フォークソング全盛で、フォークの曲を流す番組として始まったのだが、兵藤ゆきさんと天野良春さんのお手紙人生相談やら雑談やらがメインとなった番組である。
番組の最中、兵藤ゆきさんと天野良春さんが話している最中に、サブにいるジョーと呼ばれる人がイヤフォンごしにいろいろ会話に参加していて、もちろんジョーの声は僕らには聞き取れないのだが、おもしろいことを言った場合に、毎週、「ジョーの一言」として、クイズになっていた。またそのクイズのあて先がナゴヤフォークタウンの後に毎週違う妙に長いあて先になっていた。ナゴヤフォークタウン 知世とハメよをする時は オメヨをナメよのピコピコアナウンサー係みたいな感じである。
また、 「歌唱指導のコーナー」という、猛烈に音痴な天野良春さんが ジェフバック締メ先生の演奏するギターに合わせて歌を歌うというコーナーもあった。
それではジェフ・バック締め先生に来て頂きましょう。 ガラガラガラ、ピシャ 。
という流れが今でも思い出される。
また番組のどこかで毎週一文字キーワードが発表されて、1年間聞き続けるとひとつの文章が出来上がる。この文章を年末に送ると何かプレゼントしてもらえたりとか。「はなのおえどはげんろくのうかれきぶんにさそわれて。。。」とか「いきすぎだしすぎよしはるが。。。」などである。ちなみに僕は全部そろえたことは無い。
詳しくは2chのナゴヤフォークタウンのスレッドに書かれている。
その後、大学を卒業して、就職のために東京に引っ越したせいもあって、深夜放送のことはすっかり忘れていた。アメリカに移民してからは、完全に無縁の生活である。
先日、YouTubeでとあるビデオを見ていて、兵藤ゆきさんを思い出したので何気なく、ナゴヤフォークタウンがどうなったか調べてみた。
どうやらおいらが東京に引っ越している間に、ナゴヤフォークタウンは終了していたらしい。
2chのナゴヤフォークタウンのスレッドによると、
譲さんの死因は肝臓ガンだそうだ。本当に急なことだった。
発覚する少し前に譲さんは腰を強打している。で、腰から背中の痛みが
続くのはそれが原因かと思われていたのだが、どうも様子がおかしいので
精密検査してもらったら痛みは怪我が原因ではなく進行ガンだった
ことが解ったそうだ。そのほんの少し前にはこのジョーさんの腰を打ったというドジさ加減を
二人がネタにしたこともあった。それが信じられない結果になって
しまった。(最終回で悲しそうに二人は語っていた。)
ジョーさんの死と兵藤ゆきの結婚とが原因で番組が終了していたらしい。
調べていくと、http://chuspo.chunichi.co.jp/00/hou/20060618/spon____hou_____002.shtmlや、http://www.tokairadio.co.jp/campaign/nagoya-folk-town.pdfでナゴヤフォークタウン21と称して2006年6月18日の深夜に特別番組があるらしい
え?2006年6月18日?つい先日じゃん。あぁぁぁ。めっちゃ聞きたかったなぁ。誰か録音持ってないかなぁ。でもジョーさんいないんだよなぁ。
ちなみに、兵藤ゆきさんは、現在、「兵藤ゆきのNYより愛を込めて」というPodcastの番組をやっていて、そこで声を聞くことができる。
うわぁ、名古屋弁だぁ。
斉藤洋美のラジオはアメリカンは、http://www.aii.co.jp/contents/rajiame/info.htmlで聞くことができたが有料である上に2006年6月30日で終了。http://www.cinema-donna.com/が斉藤洋美のCinema donnaというホームページ。この中で彼女の声を聞くことができるし、斉藤洋美の”洋美だぜぃ!”ではポッドキャストで聞くことができる。
それにしても、声が変わらない。。。
うぉー、覚えているよ、このラジオ番組。
ナゴヤフォークタウンっていうんだ。
オイラは、兄貴が深夜勉強で聞いていたのを偶然聴いたのがきっかけだったかな。
けど、野球中継とかがあると開始が遅れることが多くってね。
確かに面白かった。