教育は洗脳実験

Monster 浦沢 直樹 (著)を先日読んでて、「教育は洗脳実験」みたいな話がでてきた。この言葉について考えてみる。


教育は洗脳か。答えはYesであろう。
教育をぶっちゃけて言い換えれば、高品質の労働力を生産(養成)するということである。
自分が高品質の労働力になれば、高い賃金を得ることができる。だから頑張って教育を受けて高い賃金を得よう。安定した仕事を得ようというひとつの洗脳である。
これは社会の要請でもある。優秀な人材を一定の賃金で確保することが社会の要請であり、この要請にこたえる形で現在の教育が形作られている。
実際、そのような教育を行うことにより、日本は優秀な人材を擁し、経済復興を成し遂げた。万人が一定の教育を受け、安定した収入を得、一億総中流社会を作り上げることに成功したわけである。
もちろん、国家として靖国がどうのとか、戦争責任がどうのとかもひとつの洗脳に見えるし、最近の中国、韓国の動きも、日本から見ているとそのように感じる人もいるだろう。逆に、日本国内の教育だって、考え方を裏返せば、同じようにひとつの洗脳なわけだ。
社会の要請には、優秀な人材を一定の賃金で確保することだけではない。
一定の教育することにより、新たな顧客を作り出し、新たな雇用を生み出すこともできる。
文字が読める人がいなければ出版業界は成り立たないし、一定の健康に関する知識がなければ、安全志向の無農薬野菜などの市場も成立しない。大体、一定の雇用がなければ一定の収入も無いわけで、収入がなければ支出もしないので、物を作っても売れないわけだ。
このサイクルを一定の速度で回していくことが社会の要請のひとつでもある。
これらの社会の要請を満たすことを目的に現在の教育があると言ってもいいとおもうし、実際、僕らはそのような教育を受けてきたんだと思う。
現在、教職員の人たちは、そのような教育を受けて育ち、大学を出て教員の資格を得、教員として生活している。そして、そのような人たちが教育を行うことにより、社会の要請にあった人材を大量生産するわけである。
別にこれが正しいとか間違っているとかではない。
実際、これらの教育を受けることにより、社会の要請に答える人材になれるわけだし、社会の要請に答えることができるから、賃金を得ることもできるし、安定した仕事を得られる。
逆に市場を作るために教育(洗脳)を行うこともある。テレビコマーシャルなどの広告媒体などもひとつの洗脳である。
これからの時代、ひとつの企業で一生勤め上げるなんてナンセンスですよ。転職すれば収入が増えますよ。というアピールを行い、転職ビジネスが発展し、自己啓発が重要だ、パソコンが使えるのがこれからの人材だ、英語が重要だと、教育ビジネスが発展する。
社会のちょっとした傾きを敏感にビジネスとして利用し、逆にそのちょっとした傾きを敏感に捉えるために教育が重要だと認識する。
自分自身、多くの洗脳にさらされて毎日を過ごしているわけである。
一方、自分自身、多くの洗脳にさらされて毎日を過ごしているということを、認識すること自体、ひとつの洗脳の結果かもしれない。
あいつ、洗脳されてるぜ、俺って洗脳されてるかも、って認識すること自体、洗脳の結果だということもあるわけだ。
例えば、中国や韓国の反日デモをみて、やつら洗脳されてるよなぁって考えること自体が、日本人としての洗脳の結果かもしれないし、そうやって考えること自体が僕自身の洗脳の賜物かもしれない。
こうなってくると、映画THE MATRIXの世界である。
映画THE MATRIXでは、僕らが認識している世界は仮想世界であり、この仮想世界と神経を通じて繋がっているとされていた。首の後ろにケーブルを繋ぐことにより、この仮想世界に入り、電話というイベントを通じて現実世界に戻ってくるあたりである。
しかし一方で、脳に対して経験をロードすることもできた。例えばカンフーを脳にロードすることにより、その経験を脳に格納し、実際の自分が訓練した結果と同等となり、自分がカンフーの達人になることができる。
自分が赤い錠剤を呑むまでは、仮想世界が現実世界だと認識しており、赤い錠剤を呑んだあとは、現実世界が現実世界だと認識している。
一方で、仮想世界の中のエージェントが現実世界の人間の脳に入り込み、現実世界においてネオとエージェントが戦うというシーンがマトリックス レボリューションズで描かれている。
映画THE MATRIXでは、洗脳の内側と外側を繋ぐものが、赤い錠剤であり、首の後ろに繋がったケーブルであり、電話であり、コンピュータであった。しかし映画THE MATRIXでも描かれていたが、そのような象徴的なもの自体ナンセンスであり、どちらが洗脳の内側でどちらが外側なのかなど、関係性の中でしか存在できないのである。
そして、ひとつひとつの選択が、関係性を微妙に揺らしているのである。
Monster では、名前に関する記述が出てきている。自分が自分であることは、関係性の中でしか証明できない。その関係性を、どんどん殺戮して、なくしてしまうところがMonster の怖いところである。自分と他人や社会との関係性が、自分に名前がついていることをリンクにして保たれている。
自分が洗脳の中にいることをちゃんと受け入れて、それでも尚、洗脳の外側の風景を想像できる力ってのが重要なのかなぁ。。。それも洗脳の結果か?
まぁそこまでくると、孫悟空とお釈迦様の手のひらの話に似てきますねぇ。どこまで行っても、手のひらの上?
Monster映画THE MATRIXをいっぺんに鑑賞すると、いろんなことを考えて面白いです。あと数回見直さなきゃ。。。
まぁこうゆうことを考える力を与えてくれたのも、教育(洗脳)なわけですが。。。

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